猫と近代文学

同じ明治の時代を生きた谷崎潤一郎と夏目漱石の共通点は、意外と多く存在する。

①東京(夏目漱石は慶応3年誕生なので厳密に言えば江戸、後の東京)の出身
②現在の東京大学に入学している(夏目漱石は帝国大学時代の英文科を卒業、谷崎潤一郎は東京帝国大学文科大学国文科を中退している)
③猫が登場する小説を書いているということ。(夏目漱石『吾輩は猫である』谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』を書いている)

“小説家のみならず、画家、漫画家等の芸術家肌の人たちは彼どうも猫を愛する傾向があるような気がしてならない“

という考えを持つ人が多く存在していた。

僕的には、当然、猫嫌いの作家もいるし、犬派の作家もいると思うけれど、
「小説家は部屋にこもりっきりになることの多い職業だけに、同じ部屋で思うがままのんびり過ごす猫との相性が良いのでしょう。また、神秘的な雰囲気からインスピレーションを受けやすく、行き詰まった時にはそっと癒してくれる猫に惹かれるのではないでしょうか」
という意見もある。

僕は文芸学を専攻しているが、同じ分野の学生は猫を飼っているように感じられた。(実家では飼っているも含む)(他学科には友達がおらんので有識者求む)

こう考えてみると、猫と作家には密接な関係があるのではないのか?と思えてくる。

今回は猫愛好家の作家の中から、同年代を生き類似点も多い谷崎潤一郎と夏目漱石の二人を取り上げて、作家間の関係性を記しながら猫と近代文学とは何か?を考えてみた。

 

夏目漱石

略歴から大まかにさらっていく。

冒頭でも明記したとおり、漱石は慶応3年のまだ江戸であった頃の日本の東京に生を受けており、名主の夏目小兵衛直克・千枝夫妻の末子(五男)として出生した。

父の直克は名主であり公務を取り扱い、かなりの権力を持っており生活も豊かだった。

経済的余裕がありながらも、なぜか漱石は生後直後に一度里子に出され、男子として生まれた彼を哀れに思ってか、すぐに生家へ戻されている。

その後に2歳で塩原家の養子に出された。(夏目デジタル文学館では「慶応4年の11月頃に養子になる」とされている)

おそらく本家に留めておけなかった理由としては、母の千枝が子沢山の上に高齢で出産したことから体裁を気にして恥じた為とされている。

つまり、「金之助(夏目漱石)」は望まれない子として生まれたのだ。

その後、9 歳で漱石が実の両親と信じている養父母が離婚。塩原家に在籍のまま夏目家に養母と共に身を寄せている。

まだ幼い12 歳の頃、それまで祖父母と思っていた人間を初めて実父母と知る。

このことでさえ、彼の人生に深い衝撃を与えているのにも関わらず、22 歳の時には、金銭の関係が発生する夏目家への復籍をしていた。

金額は当時にしておよそ240円、現在にすると480万円(仮に「明治時代の1円=現在の2万円」として)もする高額な取引になる。

本来ならば「利害得失」で動かないはずの家庭という存在が安全なものではないという認識が夏目漱石のなかにはあり、彼が留学時代に煩う神経衰弱に繋がっていくことになる。

そして37歳、夏目漱石は“神経衰弱の治療”と称して小説を書き始めることになる。

夏目漱石の文学は、

「How to live(生きなければならない) 」
「How to die(死んでしまいたい)」

という二極性となっており、そこからも彼の精神不安を伺うことができる。

一貫して、

現実(生きなければいけない)
夢想(死んでしまいたい)

二つの“葛藤”そのものを主題としており、内面の「意識の流れ」に沿った文学で、人間のエゴイズムを追い求めていく。
これが、後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』へと繋がっていくことになる。

谷崎潤一郎

漱石に対し、谷崎潤一郎は東京市日本橋区蠣殻町二丁目十四番地で、父倉五郎と母せきの長男として出生している。(本当の長男は生後三日目に死亡した為、次男ではあるものの長男として届けられた)

生家は米穀に関する活版印刷所である谷崎活版所。

その後、父は祖父久の援助で日本橋に洋酒店を開業したが、間もなく経営不振のため店を閉じ、再び蠣殻町の本家に戻った。(当時の時代背景には合わない、ハイカラな事業をしてしまったとも考えられる)

生家は裕福ではあったが、父親の事業が継続して安定していたわけではなかった。

現に16歳の頃、父親の商売不振のため中学進学を断念させ丁稚奉公に出そうとした背景もある。結論を言うと、本人の懇願や稲葉先生の勧告、伯父の援助により進学することになった。(潤一郎は漱石と同じく成績優秀であった)

また、潤一郎の母は浮世絵として描かれるほど美しく、二人の姉妹も浮世絵になるほど美しかったらしい。その中でも、母、せきは群を抜いて美しかったという。

少なくとも息子の潤一郎はそう思い込んでいたようであり、そのように美しい母をなんの見返りもなく独占し、彼女の愛を一身に受けていたのもまた事実である。という存在が谷崎潤一郎に及ぼした影響は計り知れない。

彼の女性描写にある「優しさ・美しさ・優雅さ」の全てにはあえて汚らしい部分よりも、良い側面を強調して描いているのは多くの人が思い描く母親像とは一風変わったものであろう。

女性を追い求める

その女性というものの肥やしになる

これが、女性「全体」の一部になるということになるということを文学で表しているのだ。

例えば、『刺青』では前述の通り失われた全体性の奪還を、自らが全体の一部になることで果たそうとしている。

彼女たちの養分となることで完全なものに近づけようとする。

男尊女卑が根付いていた当時では珍しい潤一郎ならではの思考と考えられる。

「自分の欲望や社会への窮屈さに対する我慢」

近代文学は、日本のめまぐるしい文明化の裏にある、人間たちのほの暗い影として表されている。

しかし、その頃の多くの作家は、己が破滅するほどの葛藤や自己の転換を機会として、現代でも読み続けられているような名作を書いているように思われた。

人間は言葉というものによって自然から切り離されてしまい、一人では“安心”できない存在になってしまった。

その苦悩や苦しみを吐き出すように、何かの安寧を模索するように、近代の文学は存在している。

例えば、潤一郎はその複雑な生まれと暮らし故に母子一体の全体感を忘れられなかった。

全体性=母への憧憬

潤一郎は、他の女性に投影することによって、全体性から切り離された不安からの脱却をはかろうとした。

しかし、潤一郎自身に根付いた深い欲望が充たされないがゆえに、次々に女を替えていき代わる代わる作品に投影させるように書いていった。

けれど一風変わった題材をテーマにしている谷崎潤一郎だけに限らない話であり、今回の話に関わってくる漱石を含め、人はそれぞれ、何かしらの欠如を抱えている。

その欠如を何で埋めるのかを常に考えているからこそ、彼らは小説という形態で各々の考えを昇華させていると考えられるのだ。

猫と近代文学

その上で、なぜ漱石や潤一郎を含める数多の芸術家肌の人たちが、猫を愛するという疑問が僕の中に存在する。

おそらく彼らが、「何かしらの欠如を抱えている不安」を、猫を通して緩和しようとしたからではないだろうか。

ここでは養老孟司の「猫と暮らす」という特別講演会から婉曲的に推察していきたい。

講演の内容としては、朝に猫が主人のことを起こしに来たり、仕事場やベットの上などに先回りをしたりしているのは“猫には行動パターンを知る能力がある”ということが起因している。

加えて、人の視点があつまるところを計算しており、人の区別がついている。つまり“違いが分かる感覚も有している”とされていた。

猫に限らない話かもしれないが、彼らは人よりも違いを無視せずに生きている。

例えばとして、人間は自分を訪ねてきた人に対して、コーヒーを出してもお茶を出しても「お茶です」とひとくくりにしている。けれど猫たちは機敏に、その“違い”を見逃さない。加えて「猫たちが自分の名前くらいは理解することができるはずだ」という問いに関しても、これと同様の視点から解決することができると養老孟司は言っている。

また、猫は絶対音感をもっているため、言葉で違いを認識しているのではなく音の違いで認識をしている。

「猫は自分の名前を真に理解しているわけではない」のだ。猫たちは、動物でも人間でも同じフィールドで格差なく別個体として認識するため、本当は理解していない。
意識は物質ではなく、考えで動かすことができない。このことから、人間には存在しない能力をもつ動物たち(もちろん、ここでは中心として猫を取り上げているが)を観察し、同じように過ごすことを通して、言葉を有したことによって失った「欠落」を埋め、自然への回帰をはかったのではないのだろうか?

まとめ

近代小説の目的は自己の内面を共同体の役割(外面)に還元することができない、都市の個人(内面)を描いている。

つまり「自分の欲望や社会への窮屈さに対する我慢」という、抑圧された自己の気持ちを解放させる一つの手段として文学、小説という体裁をとっている。

漱石の場合は安全地帯(帰結するはずの家庭)をもたないという、不遇な幼少期から派生した神経衰弱の治療のために筆を執り、自らの欠如を埋めようと行動していた。

潤一郎の場合は母子一体の全体感を忘れられず、母への憧憬を他の女性に投影することによって、全体性から切り離された不安からの脱却をはかろうとした。

個人の考えとしては、これらの補助、助けとして猫たちは存在し、近代文学の発展に一役かったのではないか、ということである。

彼らの屈折し、抑圧された思考から不安を少しでも取り除き、彼らを補佐するように猫たちは存在していた。

だからこそ猫文学は存在し、数々の文豪に、愛し愛されたのではないのだろうか?

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